メディアに掲載された書評・記事等を集めました。
少しでも、sokoさんの作品やお人柄が伝わったら、いいなー、と。

上から、分かるかぎり発表順に並べさせていただきます。










「信濃毎日新聞」2000年12月21日付朝刊・「文化」欄・「冬陽の寝床」
東直子さま

 今年の四月、自分の住む町で小さな短歌の会を起こした。月一回、新作の短歌を持ちより語り合う。会員の年齢や環境はさまざまだが、それぞれの生活の中で生まれた言葉が短歌という器にやさしくそして濃密に盛りこまれる。短歌を初めて作ったという方から、短歌を知ると目に映る世界が全然違って見えます、という言葉と笑顔をいただき、短歌という形式をささやかながらも伝えることができてよかった、と思う。
 十二月の初めには、初めての吟行を楽しんだ。会場周辺の神社や公園をメモを片手にそぞろ歩きしただけなのであるが、あたたかな冬陽(ふゆひ)を浴びながら、樹々の美しさを眺め、池の水を見つめ、お天気がよくてよかった、風も穏やかでよかった、と、ときおり話しながら、なんともいえず穏やかな気持ちが満ちてきた。年齢を重ねるということのやさしさを肌で感じた時間でもあった。
 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで  仙波龍英
 あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ  永井陽子
 背に草の切れはしをつけ日なたから帰ってくるわたしのイザナギ  北川草子
 三首とも一目見て好きになった私の愛唱歌である。悲しいことに、この三首の作者は、今年に入ってから次々にこの世を去ってしまわれた。仙波さんと永井さんは四十代、北川さんは三十歳になったばかりの若さだった。この美しい世界の新しい作品を、もう読むことはできない。本当に惜しい。残してくれた作品は、大切に後の世代へ伝えてゆきたい。
 だれも永遠の生を生きることはできない。十三年前にひとりの子をこの世に送りだした時、特に強く思った。ひとつの命を送りだすということは、ひとつの死を与えたということである。だから、だれもかれも、生きている時間を大切にしなくてはね、と、新世紀を前にあらためて思う。
 冬の陽の寝床のようなススキの穂 丘に無数の指がささやく  東 直子

(歌人)


「岐阜新聞」2001年4月2日・文化欄「こゝろ」より
記事はこちらをクリックプリーズ(文字を鮮明にするため重たいです、すみません)



「子規新報」第1巻第68号(2001年4月16日発行)
「私の読書日記」
より抜粋
小西昭夫さま

三月某日 北川草子歌集『シチュー鍋の天使』(沖積舎 定価一八○○円+税)を読む。
 本書は早稲田短歌会、歌誌「かばん」で活躍した北川草子さんの歌集。北川さんは、毎日新聞主催「第八回小さな童話大賞・工藤直子賞」や「第九回短歌現代新人賞佳作」になった期待の人だったが、昨年四月、三十歳の若さで病没。「北川さんの魅力的な歌を世の中の人に少しでも知ってほしい」と「かばん」の有志によって発行された歌集である。残念ながら遺歌集になってしまったが、清潔で無垢な一人の女性の姿が見えてくる。

・川のない橋をふたつと歩道橋ひとつへだててきみは眠る
・目にみえないものをたよりに生きていて改札口があんなにとおい
・かした傘かえしてくれないまいちゃんの暑中見舞が今年も届く
・終点と言われあわてて席を立つ前方にまだ線路はあるも



「子規新報」第1巻第68号(2001年4月16日発行)
「となりの芝生ー短歌の現在ー」
宇田川寛之さま

 三月下旬、北川草子歌集『シチュー鍋の天使』(沖積舎)が届き、繰り返し読んでいる。巻末の略歴によれば、一九七○年一月二○日生まれ、二○○○年四月一○日逝去。享年三十歳。一周忌を前に、著者が一時期所属していた「かばん」会員有志の尽力で、刊行に辿り着いた遺歌集である。
 九○年代初め、『サラダ記念日』の影響もあってか、大学短歌会の活動は盛んだった。総合誌の新人賞も次々に学生歌人たちが受賞していった。東の「早稲田短歌」、西の「京大短歌」、この二つの短歌会を中心に活気がみなぎっており、北川草子さんは早稲田短歌会の一員だった。卒業後は「かばん」に九四年から九九年まで参加。
 僕と北川草子さんとの接点はといえば、ほとんどないに等しい。大学四年の時、早稲田大学の学園祭に出掛けたことがある。目的は早稲田短歌会主催の講演会を聞きにゆくこと。この時、今でも交流の続いている同世代の歌人の何人かと初めて出会った。北川さんも在学中だったので、当然その場にいただろう(当時は本名の村瀬直美の名前で活動していた)。しかし、その後は会う機会さえ一度もなかった。
 九五年ごろ、北川さんに面識のある友人からの依頼で、僕が事務局を担当していた若手中心の歌会の案内を出したことがあった。ただ日程が合わず、不参加を丁寧に詫びる葉書が歌会前日に速達で届いた。この歌集を読みながら、そんなことを不意に思い出す。
 童話創作にも深い関心を寄せていたようだ。「毎日新聞社主催 第八回小さな童話大賞・工藤直子賞」を受賞したこともあるという。カバーに少女を描いた自らの絵を使用する。
 ・シチュー鍋に背中を向けた瞬間に白い巻き毛の天使がこぼれる
 ・網膜の森をさまよう泣きウサギわたしいつから悲しいんだろ
 ・ツメクサで編むかんむりの最後の輪とじる魔法が思い出せない
 ・わたしたちうすもも色の服を着てはなびらみたいにふるえていたっけ
 童話の世界で培ったものだろうか、口語を主調とした文体は、せつなくも不思議な雰囲気を醸し出しているが、カタコトな表現部分もあり、作品は未完成のままに終わってしまった感もある。彼女が生きていれば、歌集は出版されなかったように思う。もし出版されたとしても、別の形になっていたはずだ。こういう仮定は意味のないことだと分かっていても、若い世代の遺歌集は、ついそう思わせるものがある。
 ・川の上に雪降る景色をただ見むと120円にて東西線に乗る
 このような初期歌篇が収録されている。多行型式の作品もある。歌集全体、仮名遣いの不統一や初出の誤植を直さぬままの収録は気になるが、ほとんど無技巧の学生時代の作品の輝きに強く惹かれた。同世代の夭折歌人として、いつまでも記憶に残るに違いない。



「短歌往来」2001年5月号
「今月の歌集歌書紹介」
より

●北川草子歌集『シチュー鍋の天使』
 二○○○年四月、三十歳で夭折した著者の最初にして最後の歌集。「かばん」有志の献身的な力によって刊行に辿り着いた。「早稲田短歌会」「かばん」に発表した作品を中心に三百余首で構成。童話の創作にも携わった著者の予感に満ちた空想的な作品には、柔らかな感性と詩性が息づき、口語発想と軽やかな韻律が心地好い余韻を醸し出す。杉崎恒夫、井辻朱美両氏の解説を併せて収録。

 シチュー鍋に背中を向けた瞬間に白い巻き毛の天使がこぼれる
 キリン草のうしろでふいにたちどまりきみがふりむかないよう祈る
 ツメクサで編むかんむりの最後の輪とじる魔法が思い出せない
 逆光によく映える髪 きみは今言葉の届かない場所にいる

(沖積舎刊 定価一八○○円・税別)


「詩とメルヘン」2001年6月号
「シグレ通信」BOOKS
より

はじめてにして最後の歌集
『歌集 シチュー鍋の天使』

 積極的な活動を続けている歌誌「かばん」のメンバーであり、平成十二年の春に惜しまれつつ早世した北川草子さん。彼女の作品に魅せられた人たちが集まってまとめられたこの歌集からは、短歌という世界だけにとどまらない心の広がりと瑞々しい感性を感じることができます。彼女の優しくやわらかな世界を楽しんでください。


「短歌」2001年6月号
「歌集歌書展望」
より
沢口芙美さま

●北川草子歌集『シチュー鍋の天使』
 三十歳で病没した作者の歌を惜しんで、所属した「かばん」の有志が編集、出版した作品集。日常の中でふと訪れる生の不安や、ささやかな幸福感、淡い恋愛感情など、二十代女性の心のゆらぎがやわらかな言葉使いで作品化されている。早逝が惜しまれる。
 シチュー鍋に背中を向けた瞬間に白い巻き毛の天使がこぼれる
 ジャガイモの芽を丁寧にとりながらまだ沈黙に慣れない背中
 網膜の森をさまよう泣きウサギわたしいつから悲しいんだろ
 ぼくたちはジャックの子孫 豆の木のかなたの空がぼくらの大地だ
(平成13年3月30日 沖積舎 一八○○円)



「MOE」2001年7月号
「MOE GARDEN books」
より抜粋
岡田貴久子さま

 さて、言葉の器量と書いた、力、と書いた。より強い力を持つように選ばれて組み合わされた言葉が、呪い(まじない)となり天に届くと信じられたのは、そう遠い昔のことではない。
 「うたよみでありながら、言葉のない世界にわたしは焦がれる」と書いたのは、北川草子『シチュー鍋の天使』。しかしこの歌集の中には、じつにたしかでいきいきした言葉が惜し気もなく閉じこめられている。
きみのいない朝のしづけさ まなうらに人魚の失くした尾がひるがえる
追伸にウソと書かれたブルーナの絵はがき臆病者のうさこ

 北川短歌の魅力の一つは子どもの本に由来する歌の豊かさだと思う。井辻朱美さんのあとがきの表現を借りれば、「唄と甘いものに満ちた子ども部屋の至福」。そのくせそこには、少女の気骨ともいうべきものがきりりと通っているのだ。あかるくてまっすぐで潔い。
 作者は二○○○年四月十日逝去。
ツメクサで編むかんむりの最後の輪とじる魔法が思い出せない



「MOE」2001年7月号
「MOE絵本館」
より
七尾あきらさま

魂の花を咲かせるように制作を続けた人

 北川想子さんはとても物静かなひとでした。立っても座っても歩いても、笑ってさえ、そよ風のようにひかえめでした。ほっそり背が高くてテディベアが大好きで、いつも青い、ガラスのテディ(しゃぼん玉液入りなのです!)をペンダントを胸にさげていました。ほんとうに本物の妖精のようだった彼女が、早々と逝ってしまったのは去年の春のことです。まだ三十の若さでした。ほんのひと月前までハガキやメールのやり取りをしていたので、連絡を聞いてもなかなかほんとうのこととは思えませんでした。大学卒業後も会社勤めのかたわら童話を書き続け、北川「草子」の筆名で短歌もたくさん作っていらした。季節ごとに制作される絵はがきはホッと肩の力が抜けるようなぬくもりに満ちていて、わたしはいつも、新作を心待ちにしていました。童話に短歌にそして絵に、魂の花を咲かせるように純粋で真摯な制作を続けた北川さん。一ファンとして、その早すぎる死を心から惜しむものです。

*引用者注:「MOE」7月号の「MOE絵本館」では、想子さんの童話「ハナグモ」が、飯野和好さんの挿画で、ミニ絵本として掲載されました。詳しくはこちら

「鳩よ!」2001年8月号
「books cross review」
より
テーマ<少女文芸>
毎月、「鳩よ!」編集部がテーマを決め、新刊書5冊を選びます。そして評者4人がその「読者へのお薦め度」を★の数で採点。短いコメントも添えてもらいます。★★★★★ぜひ読んでほしい ★★★★読むことを薦める ★★★読んでも損はしない ★★暇なら読んでみたら ★読まないことを薦める

『歌集 シチュー鍋の天使』北川草子 沖積舎/1800円 total10.5stars

高原英理さま ★★★
遺稿歌集ということで、玉石混交なのは仕方がない。だがその玉のところに魅せられた人はおそらく生涯忘れることはあるまい。とりわけ題名のもとになった歌など、同調できれば新たな何かが広がる筈だ。全般的には生の心許なさを巧みに伝える歌に佳作が多い。世の気弱な人々に薦める。

歌田明弘さま ★★
若い女性歌人にしばしば見られるような、自分の感覚や感情を絶対視したナルシスティックな作風の歌は好きではないのだが、この歌集のなかの、自分の感覚を突き放したような視点で書かれた歌はおもしろいと思った。子どもの本やファンタジーが入りこんで、ユーモアを生んでいる。

柿沼瑛子さま ★★★+0.5★(<★半分が出ませんでしたー:転載者注)
今回「少女」に一番ふさわしかったのはこの作品ではないかと思う。いや、少女というよりは子供といった方が近いかもしれない。子供時代の絶対的な幸福を知っているからこその「喪失」はあるのだが、ここには哀しみはあっても苦々しさや押しつけがましさがない。だから「少女」なんだ、きっと。

永江 朗さま ★★
『サラダ記念日』の登場以降、数多のエピゴーネンが生まれたが、彼女もそのひとりなのか? スタイルが悪いといっているのではない。定型に忠実でありながらも、それを破壊していくような言葉の冒険はここにはない。かわいくてきれいなドールハウスを眺めているような、居心地の悪さを感じる。



「俳句界」2001年10月号no.59
「となりの歌壇」
より抜粋
東直子さま

 『シチュー鍋の天使』の作者、北川草子さんは、昨年の四月に三十歳の若さで急逝した。歌集は所属していた「かばん」会員の有志により編まれたものである。
 ・きみのいない朝のしずけさ まなうらに人魚の失くした尾がひるがえる
 ・アトピーのくまのプーさん抱きしめて綿くずみたいにまるまって寝る
 ・背に草の切れはしをつけ日なたから帰ってくるわたしのイザナギ
 ・シチュー鍋に背中を向けた瞬間に白い巻き毛の天使がこぼれる
 ・ひんやりとした掃除機の内側でわたしの星がしずかに燃える

 現実世界からおだやかにファンタジーの世界に入ってゆける作品は、やわらかくしなやかで、とても深い場所で切ない。ファンタジーの研究者でもある井辻朱美がこの本の解説の中で「唄と甘いものに満ちた子ども部屋の幸福」という言葉を用いているが、まさにその通りだと思う。同時に、そこにずっといるわけにはいかないということを覚悟しているようなはかなさが漂う。だからこそまざりもののない「至福」であり、それをこれほどまでに丹念に、そして鮮やかに表現した短歌は他にないのではないかと思う。「まなうら」に「人魚の尾」を感じたり、「草のきれはし」に「イザナギ」を見たり、「シチュー鍋」の湯気の中に「天使」を見たり、日常の生活の中から垣間見たもうひとつの世界は永遠である。幸福は常に、作者の身体の内側にあったのだな、と思う。童話を愛した作者の内に生まれたかけがいのない物語の瞬間が、この短い詩型で呼吸を続けている。しずかな微笑みのような作品を読み返しながら、その早すぎる死が惜しまれてならない。
 ・洗いすぎてちぢんだ青いカーディガン着たままつめたい星になるの
 死の前年に発表された墓碑銘のようなこの歌を、私はずっと忘れないだろう。



「詩とメルヘン」2001年12月号
特集・北川草子歌集「シチュー鍋の天使」解説
冬の長い夜のために
植松大雄さま

 北川草子さんが、井辻朱美や穂村弘、また私の属する歌誌「かばん」に籍を置いていたのは、一九九四年から九九年までのたった五年間であった。
 しかし、読書で育んだ豊富な知恵と繊細な感性を結実させ、彼女は数多くの短歌を詠んだ。ご覧いただければお解りのとおり、さりげない、ごく普通の言葉を重ねながら、一首ごとに初めて聞く絵本のような心奪う物語が収められている。実際、彼女の活躍は短歌に留まらず、「北川想子」の筆名で「秋の日のリサちゃん物語」、「ハナグモ」などの童話を作り、また絵筆をとり、作品を何枚もの絵葉書にしていた。
 そして、彼女は、静かに「かばん」の中に浸透していき、確実に一つの時代を創り出し、またその人柄から多くのファンを集めた。九四年の歌会で最高得点の一位と二位を攫ったのは、そのことを証明する色褪せることのない事件であるし、かくいう私もまんまと嵌まった一人である。
 この間、誌上に発表された北川さんの短歌の総覧が手元にあるのだが、見ると最後のころには、数カ月おきにいくつか作品が重複して発表されている。確かに毎月出る歌誌なので、私でもしんどいときがあるのは確かだ。だが、短歌を作っている暇が全然なかったのか、自らの作品を管理し切れないでいたのか、その両方であったのか、なんであれ彼女は創作と現実のSEの仕事とで猛烈に忙しかったに違いない。もしもあのとき、これに気が付いていたら、といまだに考えてしまう。
 そう、「かばん」を退会し一年ほどして、彼女は急死してしまったのだ。物静かな顔で、実は生きる事に一番かたくなで、おそらく恋についてもそうであったに違いない人が。
 あっけない三○年の人生。しかし、その掛け替えのない時間と才気、またそれを惜しむ同人たちの想いが、歌集『シチュー鍋の天使』に収められている。冬の長い夜の一つを、この歌集に当ててみてはいかがであろうか。

管理人注:「秋の日のリサちゃん物語」となっているのは「秋の日のサリちゃん物語」の誤植です。


「歌壇」2003年9月号
今月のビタミン9
「草子さん、夏のそうめん」
東直子さま

夕方に会う約束のあるという娘しずかな氷上の麺

 子供がずっと家にいる夏休み。暑くて暑くてくたくたの日は、キッチンで火を使うのが辛い。いつかの夏に、毎日お昼ご飯を作るのがたいへんで、という話を「かばん」の歌会の後でしていたら、夏休みのお昼ご飯は、ずっとそうめんでした、と北川草子さんが大きな黒い瞳を見開いて言った。毎日? と誰かが訊くと、そうです、夏はそうめん、と、それ以外になにがあるの? というようなきょとんとした表情をしたのが印象的だった。
 そう言えば、私が子供の時もそうめんをよく食べた。母が作ってくれたそうめんには、櫛形のトマトと輪切りのゆで卵がのっていた。それを椎茸の出しによる手作りのつるにつけて食べた。つゆを作る時の、椎茸と醤油の組み合わさった「煮える匂い」をかぐと、なぜかいつもお腹が痛くなった。ある時から錦糸卵と細切りのハムと胡瓜ののった、冷やし中華風のものにかわり、私も今、そんな風にして食べている。
 揖保乃糸、島原そうめん、半田そうめん等、産地によって、麺の太さや味わいに微妙な差があるのが、夫の故郷である奈良県桜井市が産地の三輪そうめんの細めでなめらかな舌触りが気に入っている。これがそうめんの元祖らしい。大神神社の御神体三輪山の名をとるその白く端正な麺は、黒い紙帯を締め、底の浅い木箱に誇らしげに並び、夏以外の季節は、箱入り娘として保存食用の棚に眠っている。小麦粉に塩とわずかな油をまぜて、細くほそくのばされ、寒空に乾いてゆく麺。手で触れただけでほろりと折れてしまうそれは、なんという繊細な食べ物だろう。
 夏はそうめん、そうめんですよ、とさらさらの黒い長い髪をそよがせていた草子さんは、それから数年後、すてきな歌をたくさん残したまま、病気で亡くなってしまった。ゆだった湯の中にそうめんをはらはらと落とすたびに、草子さんの声を思い出す。そうよね、夏は、そうめん。するりするりと、思い出が下る。







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