「シジミチョウ通信」というのは、sokoさんがほんの、なくなる
少し前まで、メールで送ってくれていたsokoさんによるメールマガジン(?)の名前なのです。
歌にもシジミチョウのこと、大事そうに歌っていたsokoさん。
シジミチョウ通信は、私の手元には残念ながら残っていませんが、
sokoさんらしい言葉で、季節のお話や童話のことなどが、ぽつんぽつんと届いたのでした。
ここでは、それに返信をする、という気持ちで管理人がsokoさん宛てに手紙を書いています。



Re:シジミチョウ通信

2004.1.30 Dear sokoさん。ここに手紙を書くのは一年ぶりになってしまったね。もう、書かないかもしれないと思ったのだけれど、今日は素直に、「書こう」と思ったのです。作品展「天使もたまには深呼吸」、来てくれてありがとう。会期中の土曜日、雪が、降ったでしょう? あのときね、間違いなく来てくれているって思ったの。高山さんと噂をしあったよ。今回もまた、いろいろなかたに助けていただいたね。岐阜の展覧会のときに、お父様とお母様が一生懸命に選んで作ってくださった額は、どれも絵にぴったりで素敵だったし、会場にカフェギャラリーをとお母様が考えつかれたことも、今回の成功に結びついていると思う。実際にギャラリーを選ぶときには、ネットで知り合ったKOROさんに、フィンランド・カフェのモイを紹介していただいたり、ふるのさんや高山さんや飯田有子さんや雅子さんなどsokoさんの大事なお友達と、佐藤弓生さんやMOEの位頭さん、そして私のギャラリーに詳しいイラストレーターの友人・金子恵さんにも相談して、意見を聞かせてもらい、お母様の「できればたくさん絵を見ていただきたい」というご意志もくんで、いちばん「ここでできたらいいな」と私も思ったカフェギャラリー・サパナさんにお願いして、受け入れていただくことができた。中へ展示するものも、皆さんとのお話の中で決まってきた。そして、sokoさんのお部屋の再現という感触もね。晩秋にお母様とギャラリーの下見をしたときにね、もう、それぞれの壁にあっという間に入れるものが決まっていって、何だか不思議なほどだった。sokoさんのお部屋が「これでいいんだ」って、そのときほっとしたよ。短歌を使ったランチやメニューのことも、面白い試みだったね。最初にサパナさんに使用許可をお願いに行ったとき、「ランチをやってみたい」とギャラリーのオーナーである宮田さんが仰ったので、「それはお任せします」とだけ言いました。それがね、会期が近くなってきたとき、宮田さんがメニューを迷われていて・・・、それの相談に乗っているうちに、「シチュー鍋の天使」からとった「シチュー」だと、もしかしてひとつのお鍋ですむし楽なんじゃないかなって思って、おうちがお総菜やさんをやっているという人に相談したの(下でテディ・ベアのことや「Yonda?ビデオ」のときに書いたかた、ろいさんだよ。今はよくお話をして、私、とても助けてもらっているの)。そしたら、調理の仕方やコツなんかを丁寧に教えてくれて、それを宮田さんにお渡ししたら、これだけヒントをいただければできるかもしれないって! それで、他にsokoさんの食べ物や飲み物にまつわる短歌も宮田さんに送って、短歌で作るメニューにしましょうってことにいつの間にやらなって、見事に、「シチュー鍋セット」ができたのでした。普段の日の飲み物にも、短歌を使って、メニューを作ってくださって。カフェギャラリー全体で、sokoさんの雰囲気を味わっていただけるようにって、本当に隅々まで・・・。こんなふうにできるなんて、正直、まったく思っていなかった。宣伝に関しても、MOEのインフォメーションのコーナーで採りあげていただいたし、弓生さんや飯田さん、東直子さん、それからネットで知り合ったYUKIさんも、DMを配布するのを手伝ってくださった。さとみほさんや植松大雄さんはご自分のHPやメルマガで、宣伝をしてくださった。そして、搬入のときには、西崎憲さんがもしかしたらまだ痛かったかもしれない身体を押して、絵を掛ける釘打ちをしてくださったり、あの素敵なフラッシュアニメーションを作ってくださった。会期中は、本当にたくさんのかたがいらしてくださった。初めてのかたも意外に多くて、皆さん、楽しんでくださったみたいだった。会社のかたも、お母様がお知らせして、たくさん来てくださったね。かばんの方々はお近くにお住まいのかたも多くて、数度足を運んでくださった方も! 上で書いた方々のほか、『天使のジョン』の編集をしてくださった白泉社の水上さんや、「詩とメルヘン」で共演したこみねゆらさん、そして舞子ちゃんも来てくれたねー。うれしかったでしょう! 「シチュー鍋セット」を出した土・日、そして最後の記念日の火曜日は大入りで、宮田さんにもかなりご無理をさせてしまったけれど、年初から本当に楽しいことができているって言ってくださって、安心しました。日曜日はね、少しシチューを多めに作ってくださって、お母様と、たまたまいらしていた西崎さんと、宮田さんと、私の4人で、ゆっくりシチュー鍋セットを楽しんだりしました。最終日の撤収では、また西崎さんを中心に、多くのかたが残って手伝ってくださり、NEVERMOREでsokoさんとご一緒した東郷君も、予約した赤帽さんが来てくれなくてパニックになっていた私に、臨機応変な案を出してくれたりして、無事に作品展は幕を閉じました。西崎さんたちが開いた打ち上げには出た? 楽しかったでしょう。本当によかったなって思っているの。本当に。会期中に印象的だったのは、日を追うごとに、サパナの空間がsokoさんのお部屋になっていくということだった。sokoさんのつくったくまたちが顔を揃えたり、sokoさんが出したお手紙が集まってきたり・・・。サパナさんの雰囲気が、雑貨好きなsokoさんにぴったりなのもあったけれど、どの大きさの絵も、あの小さなたくさんの棚の中も、『天使のジョン』のコーナーも、本当にあつらえたようにそこにあって。デジャヴを感じると言ってくださった方もいたね! お母様がずっといてくださったのも、安心だった?(本当はちょっと心配していた?) でもよかったよね。お母様のためにまずよかったって、会社の方々とお話しされているお母様を拝見して、思っていた。sokoさんも今だからきっと会えた人たちがいたんじゃないかなって、そうも思った。そして私のためにもよかった。私、このサイトの中では、あえて、普段呼んでいたあだ名を使ってこなかった。それは最初はあなたとあなたの作品を(私の個人的な妄想によって)危険にさらさないためだったのだけれど、その可能性は、作品展の最中に本当になくなった。ここは今や本当に公式HPになったようだから、最初からsokoさん、と呼んでいて、sokoさんが「sokoブランド」を作りたいと言っていたその名前で呼ぶようにして、よかったなと改めて思った。かつてsokoさんがしたいと聞いていたことすべてを終えたような気がして、本当にほっとしたの。ね、Coccoの話、sokoさんとしたことなかったよね。そのCoccoが一時期引退したときに出たベストアルバムのクレジットのところにね、「Compiled by Cocco」って書いてあったの。「compile」は、コンピュータ用語で、「そのプログラムを作動させる」という意味の言葉だと、かつてその分野の職業の人に、教えてもらいました。「Compiled by Cocco」、素敵な言葉だなと思った。今回の展も、そして歌集も、雑誌も、『天使のジョン』も、これから起こるであろうこともすべて、「Compiled by soko」。今回の会期中に、かつて『天使のジョン』で予約キャンペーンをやっていただいたbk1の馬場さんが推薦してくださったと言って、復刊ドットコムの左田野さんというかたが来てくださって、あっという間に、画集を出さないかというリクエストを始めてくださったの。もう、そのニュースはsokoさんのところまで届いている? ここからは、生きていた頃のsokoさんの意志をついで、作品と一体になったsokoさんの力で行くんだよ。もちろん、私が近くにいていいなら、いるけれど、ここからは、本当に、sokoさんの力で、進んでいくの。私はいつでも応援しているから。意見をまた、聞かせて。そして、何かがしたいなと思ったら、また素敵なことを、compiledして。作品展、本当に成功おめでとう&ありがとう。

2003.1.20 Dear sokoさん。どうもsokoさんとは、クリスマスおめでとうが新年のご挨拶と一緒になっていたことが多くて、あー、気がついたら、年を越していたー。ときどきふっとsokoさんの声を聞いたりしていたけれど、ここできちんと話すのは久しぶりだね。元気にしていますか。今年も誕生日、おめでとう。そして『天使のジョン』、とうとうできあがったね。もうほんとーに隅から隅までどこをみてーもsokoさんだらけだよ! 天使なんてね、何人いると思う?(笑) そうだ、気づいていると思うけど、書いておきます。22ページ、本当は青色のページのはずだったそうなのだけど、ああ、ちょっと、ころりん。でもご愛敬、というか、sokoさんの作品で誤字・脱字がなかった作品はなかったので(メモのレベルでも雑誌上でも<こりゃ私の責任でもあります)、なんだかね、本当に目にしたときは変にほっとしたりした(お母様も残念に思われながら、でも同じこと仰っていた。sokoさんらしいって)。NEVERMOREのときも2人していつもいちお目を皿のようにして見てたのにねー。いろいろゲラできてからの調整とか訂正とかと合わさって、sokoさんのはいつも結局どっか誤字とか脱字とか重ね字とか……(笑)。でも、こうしてsokoさんの大事な作品をつなぎとめることができたってこと、本当によかった。私ね、sokoさん見ていたと思うけど、20日の前、緩やかにそして最後にはものすごく動転してしまって、見本を水上編集長が届けてくださるとまで言ってくださったのに最初お断りしてしまって。分からなくなっちゃったの。sokoさんとこの先どう話したらいいのか、sokoさんと話してもいいのか、sokoさんのことをどう話していいのか、いろいろね、本当に分からなくなっちゃって。去年の今日も、突発的に、ああ、お誕生日だと思ってsokoさんのおうちまで行っちゃったね。sokoさんには、もうこれでモノでできたプレゼントをするの最後にしようって思って(だって、渡そうとしても何かすれ違ってしまう気がしたんだもの、sokoさんの手と)ご実家まで押しかけてしまって、あのときも私の中のsokoさんと外側にいるsokoさんの有りようが混乱していてかなり動転していたと思うけれど、今年もまたやってしまいました(お母様、水上さん、ごめんなさい)。しばらく前、掲示板で、以前からの覚悟を実行しようと思って、こんなふうに呼びかける声も、もうすぐsokoさんにしか聞こえない声にするつもりであるって書いた。でも私、今こうしてまたsokoさんに向かって手紙書いていて、やっぱり呼びかける以外にsokoさんのことを話せる方法が(今の私には少なくとも)ないんだって、分かってしまったのだ。私を心配してくれている周囲の人には、もう実在しないsokoさんに向かって話しかける私の言葉は奇妙に聞こえるみたい。やめたほうがいいってはっきり言われたこともある。もういない人へ向かって、といぶかしんでいる人も多いのかもしれない。でも、sokoさんとの話し方は、sokoさんと私で決めていけばいいよね? ゆっくりでいいよね? 『天使のジョン』を本当に見るまでは不安だったの。sokoさんはこれからみんなのものになる、私ばっかりの思い入れが強すぎたらいけない、他のかた一人一人の中のsokoさんを邪魔することになるって。でも私なんかがそんなことを考えなくたって、sokoさんを好きになる人は自分のsokoさんをきっと育ててくださるし、あるかたに言われたの、「sokoさんは既製品じゃないんだから、本とセットで公の場に配ることが大事なのじゃないと思う」って(それはその通りで、私はそんなつもりでsokoさんへの言葉を公にしているわけじゃない。でも外の人にはそう見えるのかもしれないってことは分かった)。「想い出をおすそわけしてほしいのよ。」とも言われた。そのかたとは、最近知り合ったのだけど、sokoさんのことをMOEの「ハナグモ」を読んで初めて知ったんだって(それもすごい偶然だよね)。で、そのあと私がメールの中でsokoさん、sokoさんと言ったりしていたことなんかから、またsokoさんに改めて出会うことになったのだそうな。それで、ご自分でもテディベアを作るのでsokoさんにプレゼントできたのになー、とも仰っていて(交換できたよね!)、私よりほんとsokoさんに出会っていてほしかった人だった。だから、「想い出のおすそわけ」説についてはなるほどそうかーと思って、その方法を考えていたんだけど。。。さっきも言ったように、私にはもしかしたら、こんなふうにsokoさんと話しながらあれやこれや右往左往する話の中で思い出したり、HPの中でちらほらこぼすことくらいしかできないのかもしれない。想い出のお裾分けをみんなにするのにいちばん適した人は、もっと他にいるのかもしれない(「MOE」に紹介文を書いてくれた七尾あきらさんは、きちんとsokoさんの想い出をクリップして、素敵にお裾分けをしてくれているよね。「詩とメルヘン」に解説を付けてくれた植松大雄さんの言葉も、そうだった)。それはその人orその人たちに任せればいいなって。だから、私はsokoさんと私なりに相談しながら、この手紙を気が済むまで書きつづけていこうと思う。いいよね? そういうわけで、今年もよろしくー。sokoさんが描いた天使は(私は『天使のジョン』の帯と大扉に遣われた天使が最近の大のお気に入り!)ほんとにいいよねーっ!(笑) もうねー。ほんとに。そうそう、sokoさんよく新潮文庫のフェアの、パンダが出てくる「Yonda?」広告(としまえんとか、日清カップヌードルの「Hungry?」とか、ペプシマンのシリーズなどなど楽しいものたくさん手がけている大貫卓也さんのお仕事なんだねー)、好きだって言っていたじゃない? 私はねーなんでかあの広告はそれほど引っかかっていなかったから、話半分に聞いていたけど、偶然、つい先日開かれたオフ会でこの「Yonda?」の賞品のひとつになっているビデオ作品というのを拝見することができてね。そのときにああ、sokoさんパンダパンダって言っていたなーって思い出したのだ(そのこと書いた手紙もいくつかあったはずだけど、いま祖父江さんのところに行っちゃっているみたい)。ビデオのお話の中にはsokoさんが好きだったサガンの『悲しみよこんにちは』なんかも登場しちゃったりして、パンダももちろん主人公で登場してて、知っていたらきっと気に入っていただろうなーって思った(ちなみに持ってきたのは前述のテディベアのかただった、というわけで、sokoさんの歌集とお茶会のときの紅茶の缶――イラストシール付きのやつねー――を差し上げましたー。よかったよね? これから、よいお友達になってくれるよきっと)。それでビデオ見た日にうちに帰って新潮文庫を検索したら、わー、まだ応募マークを集めればビデオもらえるー! ってことが判明した、と同時に、ビデオができあがったのはsokoさんがいなくなる前後で、おそらくsokoさんはこのビデオの存在を知らなかっただろうってことも分かった。ので、そっちで見られたら見てみてー、そうじゃなかったら私が応募しておくから、うちに見に来て。それでも見られなかったら、ビデオを見ている私の心の中に座って、一緒に見て(このぐらい用意しておけば大丈夫だろうか)。ねー。昨日のお昼に『天使のジョン』を見るまで大混乱だった私、今日は『天使のジョン』を同居人の鼻先まで持っていって「いいでしょー」とか言っていて、心配するだけ損って感じですね(笑)。また動揺するのかもしれない。でもそしたらまた報告しに来て、sokoさんに「よしよし」ってしてもらうんだっ。では、また書くね。

2002.12.25 Dear sokoさん。メリー・クリスマス! 先日、うちにFAXで水上さんから転送していただいたゲラのはしっこに、手書きのメッセージに添えて祖父江さんが描いた、水上さん的天使と祖父江さん的天使がいて(もちろん両方ともsokoさんが描く天使のバージョンなのだー。笑)、わーいと思って、お母様にこっそり天使のとこお送りしたら、今日、お母様からいただいたクリスマスカードには、今度はお母様が描かれたお母様天使がいたよ!(眼鏡をかけてエプロンしているのー) もうね、みんなで天使ー。クリスマスだものね! 今日は、bk1さんが予約キャンペーンとして作ってくださったページにも無事リンクをできて、ほっとしました。また、元気のあるときに書くね。

2002.12.16 Dear sokoさん。白泉社さんの『天使のジョン』に関するページが公開になって、約10日。5日目にね、宣伝広告課の石川さんからメールいただいたとき、注文してくださった書店さんがすでに3桁に! という嬉しいお知らせをいただいて(どうやら本当に喜んでいいらしいの)、何だかふわふわーな気持ち。ね。この間に、私が第1弾の文字組を手放してからも、水上さんは祖父江さんのところに詰めていてくださったりしたそう! 白泉社さんの『天使のジョン』のページの本文の抜粋箇所(あそこがいいよね! いちばん、天使とジョンがかぶさる部分。すぐに石川さんには御礼を申し上げたの)を決めてくださったのも実は水上さんだったとのことで、ああそっか納得〜! と思ったのでした。水上さんに担当してもらって、幸せ者め〜と改めて。先日は、祖父江さんのところに陣中見舞いに行ったけれど、水上さんにも何か御礼したいね! ねえ、また風を送って。そうなんだよ、あのお菓子を見たときに、これはsokoさんが祖父江さんにあげたいな? と思ってしまったのよね。っていうか、最近、そういうの、多いよ? 単にクリスマスが近いせいなのかなとも思ったんだけど(まあ、そもそもsokoさんはクリスマスの贈り物するの好きだったよねー)、演劇公演のちらしを作らせていただいた野瀬さんへの突発的な贈り物のときは、結局、ちょうどひっそり挙式の時期のすぐ前に届いてジャストタイミングだったし(ほんちゃんのお祝いは、昨日さとみほさんのハーティクレイ展に伺ったとき、ウェディングのシーンのうさぎたちに、ビビビ「コレか!」と思ったので、私たち2人からは、とりあえずそうするー。何だか私たち3人は、いつも2人組で残りの1人に贈り物をしているなぁ。笑。みほさんは変わらずマイペースで素敵だったねー)、こういう予感には私は素直に従えばいいのだなっとか思うノダッタ。あのね、sokoさんがかつてのNEVERMOREのインタビューで面白かったよと言ってくれていた「ぺんてか〜詩の処方箋〜」の樋口さんがね、あのあと本当に占い師になられて(詩人兼占い師なんて、やはりスゴイ)、私のことも占ってくださったら、数年前から30年くらいの間、私は「あの世の星が回ってる」のだそうなのよ。現実遊離の気が当然のことながらあるらしいのだけど、私としては、まあちょうどいいわー、sokoさんと連絡とりやすいわーとか思って、開き直っています。ははっ(笑)<笑ってる場合だ、この際。今は、カバーまわりで祖父江さんと印刷屋さんが同時進行で奮闘してくださっているそうだよ。表紙、どうなるんだろうねー、楽しみ! 私もまた、私ができる小さなお手伝いをします。それからね、bookshelfのブリーダープログラムでお世話になっているbk1さんが、発売前に何かしてくださるかも、なのー。うまくいったらうれしいね。早速お話に行ってきまーす。またね。

2002.12.5 Dear sokoさん。11月末には、私の都合で、白泉社の書籍編集長・水上さんにご同行できなくなってしまってごめんなさい。ご両親に水上さんをご紹介する大事な役目だったのにー。でも水上さんから後でお話を伺ったら、ご両親が本当に喜んでくださっていて非常に歓待していただきました、とのことで、お見合い大成功!? というか、すでに大成功に決まっていたのだけど、とにもかくにもほっとしたのでした。装丁の祖父江さんは現在、設計段階を過ぎて本格的作業に入られているということで、イヨイヨなのだぞ。ちらほら素敵な装丁の断片が、私にも聞こえてきちゃっているのだぞ。それでね、今日はその報告もあったけど、すーっごいクリスマス・プレゼントが(ちょっと早いけどいーの)白泉社さんからあるんだからー。もうねー。泣いちゃったよ(またもう。涙腺弱いし。笑)。営業部の宣伝広告課の石川さんというかたからメールがあってねー。以下、公開当日まで秘密! そうそう、掲示板にsokoさんにプレゼントしたいと思ったオーナメントを背景画像にしてみたけど、どうかなあ? このHPの中だけでは、sokoさんにプレゼントし放題、手紙も書き放題なんだなって最近気がついた。それだけでもここを作ってよかったなって思うんだ。また書くね。

2002.11.6 Dear sokoさん。3日に、文学フリマという催しに出てきました。NEVERMOREのバックナンバーと、元参加者のみんなが出した書籍を持ってね。sokoさんの童話集と短歌集『シチュー鍋の天使』も持って行かせていただきました。第1回だったということと、主催者の大塚英志さんのネームバリューとか、場所が青山ブックセンターのカルチャーサロン(NEVERMOREを置いていただいていた頃と同じ、またKさんにお世話になったよ)だったということも合わさってか、すごい盛況でね。入場者は1000人近かったらしい。行列ができていたブースもあって。sokoさんに報告せねばならないのは! かばんの方たちが流してくださった情報によって、sokoさんのことが意外に知れているということなのだった。まずたまたま隣の俳句のブースのメンバーとして、かばんにも入っていらっしゃる原さん(原浩輝さん)がいらして、童話集を買ってくださったし、そのあと私はお顔を存じ上げなかった芥川賞作家の長嶋有さん(『猛スピードで母は』のかただね)が、「北川草子さんの関係の方ですか?」と尋ねてくださり、やはり童話集を買ってくださったのです(長嶋さんはお仲間と出店もされていて、そのかたが長嶋さんだということと、かばんの購読者でいらっしゃるのだということは、あとで佐藤弓生さんに教えていただいたー)。飯田有子さんも出店していらして、お会いできたよ! かばん周辺の方々はいま本当にパワーがあるなあ(しかも空気が豊かでやさしいのだよ、それがすてき)、sokoさんも、だね。私もそんなパワーに触れて、幸せな気持ちです。お母様から伺ったのだけれど、『天使のジョン』の刊行のことも「かばん」の中でさりげなく宣伝してくださっているのだとか。うれしいね! そうそう、文学フリマにはね、七尾あきらさんの新作と、西出元美ちゃんの処女詩集『陽ざし』も持っていったんだよ。あ、元美ちゃんの詩集、元美ちゃんのOKが出たら今度ご実家に伺うときに持っていくね。元美ちゃんの詩にも、sokoさん、さりげなくNEVERMOREの毎号の投票で票を入れたり感想くれていたし、コピー誌「These Days」の読者でもあったものね。七尾さんの新作にはね、会場で「あ、これ昨日ちょうど1巻と2巻と並んでいたから買って読んだんですよ、面白かったですよね」と仰ってくださった人がいて! sokoさんがもし出店に一緒にいたら、「きゃーっ」て言っちゃってたよね(笑)。この新作も七尾さんに伺ってみて持っていくよ。『風姫』は、ずしっとくるけど、多方面で一段と磨きがかかっているよ。楽しみにしていてね。なんて、もう読んでいたりして。いっつも発売と同時に入手していたものねえ(笑)。『風姫』2巻は11月2日発売だからなあ。でもいいもん。sokoさんの本棚に、七尾さんの夏実ちゃんや(『古墳バスター夏実』)『西遊記』(ゲームのノベライズ)の上巻を(下巻は間に合わなかったんだよね……)見つけて、ああ、本当に七尾さんとsokoさんはいいお仲間だったんだなあって、うれしかったの。sokoさんは『ハートレス・ハート』と『風姫』とどっちを好きだって言うかなあ。あとね、NEVERMOREについて、「これ昔本屋で見たことがあるなあ」って言ってくださったおじさまがいたんだけれど、sokoさんの書籍化の話をしたら、「こういう同人誌から1冊でもきちんとした本が出るというのはすごいことだよ」って。一瞬切なくなったけれど、私、sokoさんにまだ身体があっても、多分、何かは本になったと根拠なく思っているんだ。sokoさんのものは、いつでも未知の読者にも受け入れられていたから。未知の人が、未知でなくなっていくふしぎ。かばんの関係のかたや、このHPで出会うことができている幾人かのかたと同じだね。ねえ、いまどこにいる? sokoさんが懐かしい。sokoさんが長いこと重力でひっぱって支えてくれていた場所が埋まらなくてさみしいよ。ではまた、ご実家でね。

2002.9.23 Dear sokoさん。お彼岸を待つまでもなく東京は涼しくなりました。先日、白泉社の水上編集長にお会いして、「天使のジョン」が正式に来年1月20日発刊の予定で書籍化されることになったと教えていただきました。「MOE」誌上に「ハナグモ」を載せていただいて以来、sokoさんの作品について、白泉社のいろいろなかたにご配慮いただいたり、お話を聞いていただいたりして、ゆっくり大事に進んできたお話でした。白泉社さんというと漫画のイメージが圧倒的だけれど、「詩とメルヘン」で挿し絵をつけていただいたこみねゆらさんや、sokoさんがお好きだったおーなり由子さんの絵本や単行本も素敵なものが出ているのです。現在書籍部の編集長の水上さんは、「ハナグモ」が載った当時の「MOE」の編集長でいらしたり、装丁家の祖父江さんとも偶然ご交流が長くて、そうしたご縁と白泉社の方々のご理解があって、本当にいつの間にか自然にここまでやってきました。ずうっと、てくてく歩いて。sokoさんもたくさん風を送ってくれたでしょ? だから、大丈夫。最近ね、「これは大丈夫」って思えることが本当に見つからなくて、でもこの件については、クリスマスツリーのてっぺんの星(昔sokoさんが私にくれたね、今度はお返し)みたいに大丈夫、って思っているんだ。今、掲示板にうまく書き込みができなくて、お知らせをどーんって書けないのが残念……。はやく調子戻らないかなあ。……さて。この前のご実家訪問の続きを書くね(ご実家から戻ってからは、何だかsokoさんに会ってきたばかりなのにすぐにsokoさんに報告を書くのが妙な気がしてこんなに経っちゃった。sokoさんが見ててくれたこともあるだろうし、どこまで書く必要あるだろうって思いながら、でも何となくビデオに撮っておくようなつもりで<ビデオカメラなんて持っていないけど、イメージとしてはそんな感じ、書いておくね)。夕方になってお母様が、なんと、長良川でおこなわれる鵜飼の見学とセットで宿をとってくださっていたことが判って。お母様も一緒に見学&隣のお部屋で泊まってくださるとのことで(私の体調のことなど考えて、大事に気遣ってくださったのだと思う)時間に追われてとにかく宿へ。タクシーから見えた大通りには、「鵜飼創始1300年」の垂れ幕が通りにところどころかかっていた。思っていたよりずっと古い風習なんだねー。お宿は長良川のすぐほとり。まだ明るいうちに、川辺へ出て鵜匠のかたから簡単な説明を受けました。鵜匠って、鷹匠とかと同じで、宮内庁に属している正式なお役人さんなんだね! 外国からの来賓をもてなすのにも(特定の御漁場で)鵜飼がおこなわれているとは知らなかった。船頭さんのこぐ屋形船に乗って(屋形船も初めて! 浅草で見るたび一度乗ってみたいと思っていながら機会もなく)長良川をしばらくさかのぼり、待機場所で止まって、そこで暗くなるまでのんびりお食事。岐阜名産の枝豆から鮎の雑炊まで、お重にたっぷりのお弁当。とてもおいしくいただきました。あたりが暗くなったらいよいよ鵜飼の始まり。鵜飼の船が下りながら漁をする脇を、見学の船が追いかけながら眺められるようになっていて。鵜飼の船は、船ごとに本物の炭が入った鉄籠で大きな篝火がたかれていて、その火に驚いた魚がきらっと水中で光ったところを、光り物に目敏い鵜が飲み込むという手はず。鵜匠の手からのびた綱に身体を結わかれた鵜たちは、次から次へと川に顔をつっこんで頑張ってた。鵜が飲み込む魚は一瞬で息の根が止まるんだそうで、網でとるときみたいに暴れたりしないので、身体にのった油が逃げることなく姿もきれいなままで、おいしいのだそうな。鵜は、自分の喉が膨れるほど魚をとると、自分から鵜匠のところへ行って、「げー」っと魚を出してもらいます。そこらへんが微笑ましかったな、鵜飼の人と鵜の信頼関係が分かって。最後に、鵜飼の船が川辺で鵜を綱から解いてそれぞれの籠に入れるまでゆっくり見せてもらえて(鵜は、お仕事が終わったあとは船の縁に止まって仲間同士でじゃれあってたー)、たっぷり数時間を楽しみました。実は緊張したのかお宿に帰ったらもう力が残っていなくてすぐに眠ってしまったのだけど。夜中にふと目が覚めて、書きかけの手紙の中でsokoさんのことを書いたり、夢うつつで呼びかけたりしているうちにまた眠ってしまった。温泉を楽しむ余裕がなかったのが残念。朝御飯をいただいてお宿を出ると、お父様と上の妹さんが車で迎えに来てくださっていて、そのままsokoさんの新しいおうち=お墓へ連れていっていただきました。途中でお花を買わせてもらって。あ……、車の中でね、たまたま私がその頃よく(今もときどき)聴いていた山崎まさよしのライブのCDがかかっていて、偶然だと思うのだけれど、何か、とても安心できました。やっぱり、緊張していたので……。sokoさんが気遣ってくれた偶然なら、ありがとう。新しいおうちは、掲示板にも書いたけれど、よく風の通る、木々に囲まれた気持ちのいい場所だよね! お墓参りをすませたあとは、sokoさんのご実家に戻って、ごきょうだい皆さまに初めてお会いできて(噂のお兄さんにも)、感激したなあ。書籍化のこともとても喜んでくださっていたし、ほっとしました。ね、きょうだいってすごいよね。私は一人っ子だからsokoさんが皆さんの「おねえちゃん」だったことがとてつもなく不思議だったよ。そのあと、装丁のための資料探しなどをお母様に手伝っていただいて(下の妹さんへの手紙やお母様宛の手紙の中の「天使」を探していただいたの)、本棚を眺めたり。下の妹さんがご自分のところに持っていっている本もあると聞いてね、ああ、そうやって、たとえばこの本たちもただここにあるだけじゃなくて、ご家族の方の中へ溶け込んでいくんだと思ったら、その境の曖昧さがきっと、きょうだいで、家族で、親しいということなんだなあって思った。お昼過ぎ、用事が何とか終わった時点で早くも限界が来ちゃって(苦笑)、帰るだけの力がぎりぎり残っているところでちょっと強引においとましてしてしまったのだけれど、少しの合間にそっと仏間にお邪魔して今回の御礼にと手を合わせていたら、お母様がいらして、「いつもは高いところに向かって話しかけているのだけれど、昨日からはだいぶ下に降りてきているような気がします。きっと喜んでいるんだと思います」って言ってくださった。そうだったらうれしいな。岐阜の駅までお父様とお母様に車で送っていただいて(またこの中で眠っちゃうし、私というやつは)、何とかどうにか家へたどりつきました。あれから、もう一月も経ってしまうね。あれからときどき考えるんだ、なくなってからもある人が作ったり遺したものが人々の中で生きているとき、その人は転生しないんじゃないかなって。その人のままなの、ずっと。私の妄想の中で一緒に話してもらっていた私の父はね、多分もう転生の準備に入っていると思うの、そう感じる。sokoさんの光はまだ強くて、きっとまだまだsokoさんなんだろうなって思う。でもね、もし転生がしたくなったら、耳を閉じないようにしておくから、風を送って。そしたら私が持っているsokoさんのかけらを、高くて広いところへ飛ばすよ。そしてまたいつかどこかでいいから私に会ってね。

2002.9.20 Dear sokoさん。よい季節になったね。そちらはいかが。ご実家に伺ってから、もうすぐ1カ月経ちます。あのときは本当にご家族の皆さまにお世話になりました。伺った日ね、名古屋での乗り換えのとき、何だかあまりにも緊張していて、これはよくないと思って、少し駅の中をうろうろしていたら、名古屋名物に名乗りをあげたというシャチボンというお菓子の宣伝があってね、簡単に言うとシュークリームでできた鯱(名古屋城の名物だよね)なんだけど、その顔が脱力するんだわ。それで、そのポスターが貼ってあった喫茶店(そのシャチボンを生み出したお店だった)に入って一休みした。名古屋名物と言えば……とそのポスターには書いてあって、ういろうが入っていたんだけど、ああ、sokoさんに初めて会った頃、大学の語学クラスの名古屋周辺の出身の人たちとsokoさんが一緒になって「青柳ういろう」のCMの歌を歌ってくれたなあと思い出しました。「え、そうなんだー、あのコマーシャルって東京ではやっていないんだね?」って。そう、東京ではやっていないんです、よく考えれば当たり前の話ではあるんだけど、けっこう衝撃的だったんだなあ、その地域だけのコマーシャルがあるっていうのが。うちは周辺県のテレビ(テレビ神奈川とかテレビ埼玉、テレビ千葉)も入らないちゃちいテレビだったから、本当にそういうことを考えたことがなくて。青柳ういろうのCMを何人かで楽しそうに歌うsokoさんがうらやましかったな。東京だけでやっているCMももちろんあるだろうけど、東京在住の人で共通項として郷愁を持って歌えるものがあるかといえば、思い当たらない。……余談でした。無事にお宅に着いて、しばらく、お仏壇にお参りをしながら、sokoさんの最期の頃のことを初めてかなり具体的にお母様から伺って。堰を切るようにお話をなさる声を聞いていたら、今まではきっと私の心に余裕がないとお気遣いをいただいていたんだろうな、もっと早く聞いて差し上げられればよかったと思った。分からない、今でよかったのかもしれないけれど。お仏壇の両脇に置かれた、お盆用の周り灯籠がぐるぐる回るのがきれいだった。sokoさんの諦めや決断や、そんなものがかきまぜられて、部屋の中を動いてた。訃報を聞いた頃、sokoさんがいなくなったことを信じなかった私は、妄想が混ざった夢の中で、暗闇に一人浮かんでいたsokoさんの身体を、遠くの方から一生懸命白い布のようなものでくるんで「もう大丈夫」と思った。「ありがとうKちゃん」って声もしたのに、とお母様の声を聞きながら記憶の中をさまよっていた。でも潔いsokoさんのことだから、きっと最後の一瞬、決心したに違いない、と、お母様とはそういう結論に達して。本当にどこへ向かってもsokoさんは全力でできるだけのことをやってきたと思うから。ほっとするには、それしか方法がなかったのかもしれない。同じ頃に心の病気がひどくなっていたことや、何か、そんなことから、お母様には本当に私たちが似て見えるらしいのです。本来、あんなに対称的だった私たちなのにね、病気のあたりからどこかがシンクロしているのかな。ん、ごめん少しつらいや、続きはまた書くね。

2002.8.9 Dear sokoさん。西崎さんや増田さんの受賞での大騒ぎ、一息つけましたか?(笑) すごかったよねー。でもまたまたすごいことが。先日、編集長のMさんに、いよいよ私たちの大本命(!)の装丁家のかたのところへ連れていっていただきました。私がそのかたの作品に初めて「出会ってしまったあー」のは、漫画『瞳子』(吉野朔実さん)。作品もよかったのだけれど、とにかくこの装丁みたいになりたーいとか一目で見て思ってしまいました。絵が表紙の地の色と風合いを生かしたプレス加工になっていて、その上に、本書の鍵のひとつとなっている模様がカラーで施されているのです(ネットの中でも『瞳子』の装丁を絶賛する声多数)。Mさんに、希望する装丁のサンプルを探してみてくださいといわれていた私は、すぐにサンプルはこれがいい! と思った。sokoさんには、かつてのNEVERMOREでの本の仕様を気に入ってもらって、手紙でも「自分はこの本に似合っていると思う」と言ってもらっていたから、私が気に入って、それがまっすぐにsokoさんへつながるような気持ちのするもの、そうだと自信を持って思えるものを探そうって。それが見つかって(正直言うと不安だったんだ、それほどのものが見つかるかどうかが)、ほっとした矢先、古本屋でね、sokoさんが熱心に素敵だと話してくれていたトーベ・ヤンソンさんの大人向けの小説集のうちの1冊を見つけたの。それで、その装丁が『瞳子』に少し似ていて、あれ、もしかして、と思ったら、やはり同じ装丁家のかただった。その一致にも、あ、sokoさんまた風を送ったなーって感動したけど、ここからがすごいの、そのお話をMさんにしたら、なんと、そのかたは著名なかただけれどMさんと長年おつきあいのあるかたで、「お忙しいかただから無理かもしれないけれど、そういう運命的なものは大事にした方がいいでしょう」と仰ってくださって、打ち合わせの段取りをつけてくださったのでした。そのかたのお名前は。言ってしまうぞー、今をときめく祖父江慎さんナノデス。ちょうど、2002年の9月号の雑誌「illustration」(前に書いたとき綴りが間違ってましたー汗)でも大きく特集されているのですが、お仕事紹介を拝見していると、本当に魔術師みたい。実際、伺ったときも、『瞳子』や「トーベ・ヤンソン・コレクション」(特に1〜8のほう)を含めて、技術的な面白いお話を、呪文を交えるみたいにして教えてくださいました(「トーベ・ヤンソン・コレクション」も絵のプレス加工を使っていらっしゃるのですが、『瞳子』とはまた印象が違う。これは熱に弱い紙質の弱点を逆手にとって、熱処理して溶かして出てきた質感なのだそうです!)。私のほうは、説明をさせていただいているときも緊張しっぱなし。「天使のジョン」の原稿や、「MOE」や「詩とメルヘン」、イラストファイルや童話集やメモパッドを観ていただいて、なぜか祖父江さんのお導きで星座の話までしているうちに、受けてくださる、……ということに。打ち合わせに出かける前は根拠のない確信があったのだけれど、実際にそう仰っていただいたときには半分耳を疑ってしまいました(ごめん)。でも、これは、sokoさん。どうやら本当のことらしいのです。今も非常にご多忙なので、また、私も宿題をいただいたので、前にも書いたとおり、発刊は来年(でも早々にって祖父江さんも言ってくださったの、sokoさんの誕生日をご覧になって)になるのだけれど、本当に、絶対、素敵な本になるよ! 幸せな本! これで書籍化、実務レベルへ本格的始動です! とにかく今は、sokoさんを祖父江さんに届けられたということにほっとしています。sokoさん、素材(宿題)を探すのに、どうぞ手を貸して。今月は、別件あってご実家へも伺うつもりです。また、そのときにね。そうだ、祖父江さんのデスクには、蝉の抜け殻が幾つも入った紙コップが当たり前みたいにね、置いてあったんだよ。

2002.7.25 Dear sokoさん。なかなか書けなくてゴメン。もうしばらく前のことだけれど、この前話題に上ったsokoさんの、じゃじゃん、「兄貴代わり」、のSさんにお会いできたよ! 大学時代のsokoさんのお話をいろいろしました。お引っ越しを手伝っていただいたときには、運んでいただいた&引越祝いにオーブンをいただいた御礼にそれを使って手料理を作って差し上げたのだってね。「シアワセモノメ、ですねー」と思わず私は言ってしまいました(笑)。あ! sokoさんの手料理といえば、ちょうどsokoさんがお料理学校に通っていた頃、サークルでクリスマスの集いがあって、そのときにとても丁寧な方法でおいしいおひたしを作ってもらったなあ(その話をSさんにするのを忘れちゃった。今思い出した)。懐かしい。それから、Sさんの結婚式のときに、結婚なさるお二人だけでなく、子どもさんにもプレゼント(テディ・ベア!)を差し上げたというお話も聞かせていただいたよ(sokoさんらしい、と頷きあいました)。そう、それで、Sさんがね、「超ローカル&マイナー・プロジェクト」と銘打って、素敵なことを考えてくださったの。あのね、sokoさんの歌集『シチュー鍋の天使』にまつわる企画なんだ。歌集に4色のシールシートを備え付けておいて、「1.思わず心の中があたたかくなった歌には(桃色のシール)、2.ちょっと涙が浮かんできそうになった歌には(水色のシール)、3.ふしぎな何かが感じられた歌には(緑色のシール)、4.そしてこの1冊の中で最も好きな歌には(金色のシール)」と決めて、このプロジェクトに賛同してくださるいろいろな人へ回して、歌にシールをつけていってもらうのだって。そして最後はお母様に差し上げるというの。いいでしょー! うらやましいっと思っていたら、Sさんが、周囲の方が終わったら私にも回すので、そちらでも回してくださいませんか? って仰ってくださって。わあい。回ってきたら私の周囲の方にもご相談してみよう。乗ってくださる方がいたらいいな。いつか、シールのついた歌集がやってくるのを楽しみに待っています。そんな企画がどこかで続いていると思うだけで、何か幸せ。お母様からはね、先日、大分の湯布院(ゆふいん)にある、ゆふいん金鱗湖美術館という、シャガールの美術館へいらしたとのことで、おみやげをいただいたよ。私は、掲示板にも書いたけどシャガール展、上野の会場入口まで行って挫折してしまったので(代わりに国際子ども図書館の、世界のお伽噺や童話に関する展「不思議の国の仲間たち」を観ることができたけれどね! ほんと、何度もsokoさんの声がきこえてきそうだった、というか半分きいていたけど、勝手に。笑)、シャガールはきっと九州でお母様と一緒に観たんだろうな、それで(それがきっと)よかったんだなって思ったりしました。最後に、sokoさんも気になっていると思う書籍化のお話。実は、いろいろな事情で、ちょっと刊行時期が延びてしまうことになって……。ごめんね。でも、これは間に合わせでないよい本にするため、本に長生きをしてほしいための決断なので、がっかりせずにいて。とりあえず8月に入ってからですが、次の打ち合わせに伺うことになりました。また、報告します。HPも頭の中や他の場所でいろいろ試したり模索してばかりでなかなか反映できていないけれど、sokoさんに少しでも似合うページになるように、まだあれこれと考えていきます。じゃあ、また。

2002.7.1 Dear sokoさん。シャガール展に行かないうちに7月になってしまっています。今週中に行かないとアウトだー。さて。最近はね、前に書いた北欧へ行く前の空港からのFAXのコピーを(ようやくとったの、で、せっかくだからと)お母様にもお送りしたら、同じく北欧からsokoさんがお母様に宛てたお手紙とFAX(FAXは消えないように、お母様がイラストまでなぞられていたよ、うれしさみしかった)のコピーをいただいたので、ご了承をもらって、サイトに掲載しているところ(今の時点ではまだ第1弾の手紙のみ)。ウェブでは再現が難しくてどうかなあと思うけれど、どうかな? sokoさんの(これはちょっと憧れの土地のことだし、気合い入っていると思うけど)普段が伝わったらいいなあと思っています。いつぞやもらった宿題も、掲示板を動員して(笑)アップしてみたよ。それから近頃、ときどき知らない方からうれしいメールをいただくの。先日は、大学時代に図書館でsokoさんのイラストつき作品と運命的な出会い(!)をして、それ以来のおつきあいだというSさんから(訃報はご存知なかったの。だからやっぱりまだ届いていない方もいらっしゃるんだ、と思った)。当時のことを少しメールで伺って、それで今度、大学のキャンパスでお会いすることになったんだ! うん、確かに夏目坂のおうちへの引っ越しのときに手伝ってくれた方がいるという話は聞いた気がする。NEVERMOREをご所望なのだけど、それ以外にもいろいろお持ちするつもり。sokoさんの散文作品をお好きと仰ってくださって(サリちゃんとか、お見せしたの?)、周囲の方々にも伝えたいといううれしいお申し出なのだよ! 懐かしいお話が聞けそう。他にも、遠くから、メモパッドを置かせてもらっている雑貨屋さんのcha-no-maにsokoさんグッズを探しに来てくださった方もいるんだよ。「MOE」でsokoさんのことを知ったのですって。歌集も手に入れてくださったのですって。うれしいね。ゆっくりだけど、広がっているんだなあって。そうそう! そういえばね、サイトの中で、歌集のネット通販のことを載せているのだけど、売り上げがポイントになって書籍購入などに役立てることができるbk1で、初めて歌集を買ってくださった方がいらしたってことが分かったんだ。bk1については最近、sokoさん独自のpコードを取得したり(bk1のブリーダープログラム担当の方が、このサイトを見てくださって応援の言葉をくださったんだよ。本棚は、sokoさんを知っていただくのをきっと助けてくれると思うんだ。いただくポイントは、即本棚用書籍購入に充てるつもり!)、他にも郵便振替の口座を作りつつあって(今までは、NEVERMOREとか私の名義のものを仮に使って、お母様に送金していたけれど)、ちょっとずつだけど、そちらの方面も整ってきているからね。ポストカードの販売も、夢じゃなくなってきているなって。最後に、書籍化のお話。今年の晩秋での出版に向けて、今、装丁家の方を本格的に探しているのだけれど、一人、sokoさんがお好きだったシリーズを担当してくださっている、しかも私も最初に別の本を見てその方がいいな、と思っていた(sokoさん、私に風送ったでしょ)、という、何か、ご縁のある方がいらして。お忙しい方なのだけれど、Mさんにお願いしたら、「お目にかかってお願いしてみましょう」と言ってくださったの。お仕事+sokoさんの代わり、無事に勤められるといいな。じゃあ、またね。

2002.6.15 Dear sokoさん。今日は、お友達の舞夜じょんぬさんと久しぶりにお会いしました。sokoさんと顔見知りのかたではないけれど、NEVERMOREでちょうどsokoさんの「天使のジョン」と同じ号でご一緒していただいていて、ご自分の作品と一緒に、「天使のジョン」とsokoさんのことも広めてくださっているのです。うれしいことだよね。舞夜さんは、「存在を知らせる」という意味での宣伝を上手になされるかたで、いろいろ、今回も教えていただいたんだ。自費出版物としての童話集を宣伝する方法とか、私たちよりもっと若い人が気軽に読めるような雑誌へのお便り投稿とか。ああ、きっとこうしたらsokoさんのこともっと知ってもらえる機会が増えるだろうなあと思うお話ばかりだった。でも、ごめん。舞夜さんにも正直にお話ししたんだけど、なんか、私、なかなかうまくそういうことができなくって。なんだかね、怖いのかな。読書感想文を見せていただいたときにね、どうしてだかつらくて泣いてしまって(ほんと泣き上戸ね)。sokoさんは、私とのこと「何か神聖なところがあって」と手紙に書いてくれていたけど、私にとってもsokoさんのことはそうで、もちろん、お互いにいろいろなそうじゃない面も見てきたけれど、やっぱり、特に作品のこととかでは、私は少なくともsokoさんのことを神聖視していたと思う。まっすぐ、sokoさんが理想とするところを歩いていってほしいとずっと思ってきた(だから現実ではうまく助けられなかったのかもしれない、そうも思う)。そういう、気持ちがね……、そう、今まではsokoさんの身体があるときは、ある意味で誰にでも証明できるような、いろいろな形で応答をしてくれていたから、他の誰と深いつきあいをしようと、気にならなかったんだ。でも、今は、sokoさんの近くへ行ける人がうらやましくて。これからは、sokoさんへは、遠くの人の気持ちも届く。そういう言葉の力や気持ちを持つ人であれば、誰の気持ちでも届いていく。sokoさんの作品、のこしたものを介して。そんな場所に、sokoさんはいるんだよなあって。みんなに共有される人になっていくんだよなあって。そのことがね、私が考えていたのと違う側面を持っていたってことが、ちょっと分かってきたの。遠くの人へ届く言葉は強い。遠くの人から届く言葉も強い。身近な人にとっては、それはもしかしたら強すぎるほどのものかもしれない。そう思ったらね、sokoさんの肉親であるお母様や家族の方々にも、私なんかの存在が、そんなふうにsokoさんを無理に共有する人間として映ったりするときもあるかもしれないって、思った。……それでも、私は、「とにかく、書いたものは、Kちゃんに預けるから」と言ってくれたsokoさんの言葉を(その先の意味は分からずとも)忘れられないし、友人として一緒にこの世界にいてほしくて、どうにか居場所をと思って作ってしまったこのサイトをぱっと終わらせてしまったりはできないってことも、我がままながら思った。だから、できるだけ大事に「共有する」ってことを考えていくね。あーあ、いろいろな人のsokoさんになるんだってこと、納得したからこそ、妨げないようにしたかったからこそ、このサイトを独立させたのに、だめだね、私、往生際が悪くて。sokoさんは、遠くの人へ届く言葉を書いたんだもん。そして、遠くの人から言葉が届く、そんな奇跡を静かに待っていたと思う。その奇跡は、今はまだ小さいけど、確かに起こっているんだよね。それは本当に素敵なことで、私もその現場を見られて幸せだと、確かにそうも思ってる。覚悟をさらに進めて。『天使のジョン』が出るまでには、きっと。見守ってて。
 

2002.5.25 Dear sokoさん。これがそのクマです。洋服を着たクマ

2002.5.16 Dear sokoさん。昨日は、とても死にたい日でした。バイトを終えて、少し眠ってから、書籍化の打ち合わせをしに行ったよ。Mさんが何かゆかりのある場所はありますか? と尋ねられたので、目白のカフェアコリットでお会いすることにしました。本にするためにいろいろsokoさんのこと伺いたいと仰ってくださって(Mさんも、親しいご友人をなくされているのですって)、私もぽつぽつお話ししました。sokoさんが東京に来てからのいくつかの住まい先とか、出会った頃のこととか、自分の作ったものはきちんと評価してもらうべく努力していたこととか。「天使のジョン」を書いていた頃のこととか、その後の書き物の変遷とか。本のことは、イラストのファイルなんかも見ていただいて、何となく、質感的にもビジュアル的にもMさんとお話ししているうちに手応えが出てきて、2人でちょっとほっとしたりしました。カフェアコリットを出て、「この辺にお住まいだったんですよね」とMさんが仰るので、「この階段の先にあるんですけれど、この先は行ってないんです」と言いました。sokoさんがいなくなって一月くらい後、お母様と妹さんと、カフェアコリットでお会いしたあと、カフェの前で、「部屋を片づけていきますので、よかったらご一緒に」とお母様に仰っていただいたのだけれど、私はそのときまだsokoさんがなくなったことを信じていなくて、お母様と妹さんまで偽物かもしれないと(初めてお会いしたので)思っていて、sokoさんの部屋を見たら、何かが本当になってしまう、あるいは、どこかへ隠れているに違いないsokoさんを追いつめると思って、行ってはだめだと思って、行かなかった。「行ってみません?」とMさん。「僕、行ってみようかな。馬場まで歩いていきますから、それを理由にしてというのはどうですか」。それで、決心して、ついていきました。「天国の家」は、変わらずにあって。私が最後に来たのは、1999年の12月の終わり。フィンランドに行く前のsokoさんに、できあがったばかりの「NEVERMORE」を見てほしくて、家まで届けに行った。ポストも変わっていなかったね。出発前の空港ロビーから送ってくれた、あの「届いたよ!」のFAXの話をMさんにしたら、「それはコピーしておかないと。感熱紙じゃ消えちゃいますよ」。それがなかなかコピーできないんだよね。やはり何かが本当になってしまいそうで。何が、って全部本当のことなのにね。馬場で、Mさんと別れて、放心したまま文キャンまで歩いて行っちゃった。1年生の頃、帰りの時間が一緒だったから、ときどき歩いて馬場まで行ったよね。あんまり、たくさんのことは話さなくて(手紙の方が余程しゃべったかもしれないね)、ずっと黙って歩いて、ときどきなで肩のsokoさんの肩からかばんがずりおちて、「あ」とか言って、「ね」とか笑って。そんな道を逆戻りに歩いた。スロープも上って。死にたい気持ちが少し消えて、涙だけがてろてろ流れた。ああ、暗い話だねー。いかん。そうそう、sokoさんのご実家に行ったとき、お母様からいただいた、sokoさんの持っていたクマ。お母様から(お母様はいつも、sokoさんに洋服を送ってくださっていたのだってね)「カーディガンでも買ってください」といただいたものをどうしようか考えあぐねて、そのクマに洋服を買ってあげることにしたの。水色の半袖ニットパーカーに、紺のズボン。そのニットパーカーを予約しておいたのがようやく届いて、目黒まで取りに行ったよ。そのうち、写真を見せるね。あ、デートした原宿のテディベア・ミュージアムまだあるのかな。今日の手紙は暗くなってほんとごめん。また書くね。
 
2002.5.12 Dear sokoさん。日が経つのが早いです。GW中に、この間書いていたページデザインをMさんにお送りしてあったのだけれど、ご意見を伺ったら、なかなかによい感触でした。また近々打ち合わせの予定です。そうそう、一昨日はね、かつてsokoさんと一緒に演劇公演のちらしつくりで協力させていただいたNさんに、劇団「青い鳥」の公演に誘っていただいて、お会いしました。昨年、sokoさんのお母様と3人でお会いして以来。たまたま一緒に行こうと思っていた方が急にキャンセルされて、そのとき劇団「青い鳥」という名前でsokoさんを思い出されて、それで私を誘ってくださったんだって。sokoさんのお話を、ぽつりぽつりとしました。あ、ご結婚が時期はともかく決まられたそうだよ! 何差し上げようかな、sokoさんどうする? 迷っちゃうねー。何か一緒に贈れたらよかったのに! 2人合わせればなかなかなもの差し上げられるかも。今から悩むのが楽しみです。それから、昨日はね、個人的に出かけた「朗読王」というイベントで、審査員でいらしていた飯田有子さんに初めてお会いしたよ! sokoさん宛にいただいている短歌の件とか、リンクの件とか、その他諸々これまでずっとメールとか郵便でのやりとりだったので、ご挨拶できてとてもうれしかった。sokoさんとの出会いのお話とか、かばんでのこと、学生時代のことなど、聞かせていただきました。合宿で、みんなで打ち明け話になったときに、sokoさんはとてもよい聞き役になっていて、そんなふうに静かな人なのに、歌会では高い評をさらっていってしまうんですよね〜、なんて。飯田さんもほんわか不思議な雰囲気を持った方でした。sokoさんと話しているとこを見たかったなーと思った。あ、それから、お母様がGW中に、ご実家でsokoさんの部屋を改めて作られるというお話で、イラストの原画を全部送ったんだけど(選りすぐってお部屋に飾られるとのこと)、もうお部屋見た? 私もいつかお邪魔したいなあ。ご実家に伺って、本棚を見せていただいたときのこと思い出してネット版sokoさんの本棚を作ろうと思い立ったんだけど、それもあって、sokoさんの本棚を、また覗きに行こうと思っていてサ。今月号(6月号)の「MOE」はsokoさんの好きだったリンドグレーンの追悼記事があるって高山さんから伺ったから、拝見したらなんだか思わず購入してしまった。代表作『長くつ下のピッピ』、タイトルを考えついたのは、当時7歳だった娘さんなんだってねー。スウェーデン語では「あしながおじさん」と発音が似ているんだって。妙なキャラクターだなーと思っていたけど、そういう語呂合わせ的なところがあったのかーと発見。ああ、それに。ロッタちゃんに出てきたぶたのバムセをあげたかったよ。あれ、すっごくおおきいやつ、おもちゃやさんの博品館でだっこしたらとてもとても幸せな気持ちになったのだよね……。すごく触り心地がよいのよ。クマ好きなsokoさんにぶたをおしつけるわたくし(笑)。でもあれを抱いて眠れば大丈夫だよ、きっといろいろなことも。そっちにもあるかな。ありそう。探してみて。それでは、また書くね。
 
2002.4.24 Dear sokoさん。近所のファミレスにいます。今日は、書籍化のための何度目かの打ち合わせでした。今ねー、ここでやろうと思っていた作業を終えて、遊佐未森の「honoka」のアルバム聴きながら書いてる。あ、2曲目の「I'll remenmber」になった。1曲リピートしちゃおうかな。Tさんが、sokoさんからのメッセージみたいと仰っていた曲。知った当時は聴き浸ったものでしたー、うん。あ、今日はね。新しく書籍部編集長になられたMさんをご紹介いただいたんだ。引継、ということで。この前紹介していただいた前任のNさんが異動になられてね。Nさんは、私が前の打ち合わせのあとでお送りした(どうも緊張でなのか、その場でうまく表現できないのだよね。せっかく打ち合わせしていただいているのにねー、もう……)帯コピー案とか、メモパッドのイラストを使って、表紙案を作ってくださっていたり、具体的に紙とかセッティングして試算までしてくださっていたんだよ! 私は試算のこととかは版元にいたことがないのでよく分からないのだけれど、Nさんのイメージされたもの、また今度お聞きしておかなくっちゃと思った。Nさんはsokoさんも大好きなおーなり由子さんの本もつくられていて、見せていただいたけど、絶句してしまうほど細かく凝っていてすっごい素敵な本だった。Nさんは、外見はざっくばらんなんだけど、とにかくこのお仕事が本当に好きそうな方。ああ、話が脱線してるね(いつもことだー)。いずれにしても、いっちばんはじめに上層の方(あ、この方もMさん)から出していただいた作品集という案から、本当に「天使のジョン」に一本化することになったよ。お母様もきっとこの方が喜んでくださるよね。みんな本になっちゃったら、何か、それで終わっちゃうみたいでさみしいし。それに「天使のジョン」は十分、一人立ちできるお話だと思うし(身びいきかなあ?)。編集長のMさんは(何か、……駄洒落が頻出しているのだが、穏やかそう、という不思議な方だった)、本は出そうと思えば出せちゃうけど、この本はちゃんと大事に作って出した方がいいと仰ってくださって、私もまだ(sokoさんの代理をかねて)関わっていくことになりました。心配してる? 無理はしないようにするから。お母様も申し訳ないことをしているのでは、とこの前お葉書で仰っていたけど、これは本当に、NEVERMOREをつくっていた、そこにずっとsokoさんにお話を載せてもらっていた(そもそも「天使のジョン」は初めて出してくれた作品だったね!<ってのはごめん、勘違いだった:後日注)、その作業の続きだと思っているんだ。もっといえば大学時代にやってた投稿ページの編集のアルバイト以来ずっと、いろいろに続いている共同作業の?(笑) NEVERMOREはsokoさんよりも少し前になくなってしまったけれど、私たちのやってきたことは消えないんだなって、あらゆる意味で感じています。だからね、関われるのは幸せなことだし、私にとってもその必要があると、思っているの。ああ、また脱線だよ(笑)。頼むよ(笑笑)。今日の打ち合わせでもね、初めての打ち合わせからずっとご一緒してくださっているIさんも同席してくださって(Iさんのお心遣いにはいつも救われています、私。それにIさんの出された「現代版・星の王子さま」というコンセプトからこの企画は本当に立ち上がって、歩き出したのだしねー、「天使のジョン」のこと、とてもよく分かってくださっていると思うー)、何かにぎやかな打ち合わせだったー。頼もしい方が3人も。どんどん企画が豊かになっていく気がするよ。Mさんは、できればイラストとかもsokoさんのでいったほうがいい、その方がきっと強いものになる、と仰っていた。いろいろな人に見てもらえる「強いもの」にするということ、それが今の課題です。打ち合わせから帰ってきて、早速、決まった版型に合わせて文字組とかしてみて、ページの帳尻を合わせて(予算上、ページ数のお尻が決まってきたの)みた。イラスト使って、プロフィールのページを作ったりね! 採用されるかなー。ファミレスではね、仮のデザインとして各ページの版面や書体とかの指定やら、あしらうイラストをもらった手紙の中やイラストファイルから探してみたり、表紙絵の再検討とかしていたんだ。だから今、すごい大荷物(笑)。そうそう、イラストファイルを改めて見ていたらさ、デュフィの絵が入っていたね(一緒にエドワード・ポッパーのも)。昨年秋に、Tさんに、sokoさんが「夏の似合う画家」と呼んでお好きだったようですよ、と教えてもらって、東郷青児美術館に観に行ったデュフィ展。なつかしい。章扉案とかもようやく湧いてきたし、明日もバイトから帰ったら、作業の続きをやるつもり。予算上、実現するかどうかはともかく、Mさんは「まずは夢を語ろう」と仰っていたので! そんなこんな。何か、書籍化の話、というかsokoさんにおおっぴらに(?)話せるとこができて、ちょっとうれしいかも。Mさんから、限定付きでお許しが出たのー。へへ。最初だから莫大に書いちゃったな。じゃあ、また!





Soko Kitagawa worksへ戻る