北川さんのことを歌っていただいた歌や返歌、
北川さんや彼女の作品への呼応として書いていただいた文章などを
集めていきます。
上から、制作していただいた順に並べています。



飯田有子さま
佐藤弓生さま
岩淵浩子さま
杉崎恒夫さま
柴尾眞由美さま
東直子さま










                 ・to SO-KO
びっくり目をもて主張せよ白いカーディガンの便利さをきみのいない春を
飯田有子
「消毒問答」より 『林檎貫通式』(発行SS-PROJECT/企画・発売BookPark)掲載





洗いすぎてちぢんだ青いカーディガン着たままつめたい星になるの

北川草子
「ヒナギクの鎖」より 『シチュー鍋の天使』(沖積舎)掲載
ひとひらの訃報とどいたあしたより野にはかすかに青いたんぽぽ
佐藤弓生
「荻窪の西」より 『世界が海におおわれるまで』(沖積舎)掲載









「歌集 シチュー鍋の天使」を読んで
岩淵浩子   

 

 北川草子様。

 突然のお手紙をお許し下さい。

 あなたの歌集を読んで、どうしても手紙を書かずにはいられなくなったのです。

 「寒暖計きれいに生きてきた人の背骨のように水銀が立つ」

 この歌を見た瞬間、思わず背筋を伸ばしました。普段は猫背気味の私ですから、ことさら気になる歌です。そして、「きれいに生きる」とはどのように生きることだろうと考えました。まだ、自分の中で結論は出ていません。目盛表示のものが多くなりましたが、水銀で表示する寒暖計を見ると、いつもこの歌を思い出します。

 「網膜の森をさまよう泣きウサギわたしいつから悲しいんだろ」

 大人になっても、悲しくて泣きたくなることがあります。けれども、子供の頃のように

大声でなりふり構わず泣くことは許されません。そのような時、人知れず泣くための小部屋か茂みが近くにあったなら、と思います。小部屋はたとえば電話ボックスのようなものがいいですし、茂みは身体がすっぽり隠れるくらいの大きさがいいでしょう。この歌に出てくるウサギは、悲しみに暮れた時の私そのものです。森に迷い込んでしまいたいと願っているのですから。

 歌集を読んでいくうちに、あなたにお会いしたかった、という気持ちが大きくなってきました。

 詩や短歌を読むと、言葉に置き去りにされたような気分になることがあります。きっと、私の知識不足や貧弱な感性のせいでしょう。

 あなたの歌を読む時、そうした気分になることはありません。現在の自分と重ね合わせながら、歌の世界に浸ることが出来るからでしょう。

 「兄弟のようによく似たてのひらをあわせてたがいの心音を聞く」

 あなたと私は、容姿はともかくどこか姉妹のように似たところがあったのではないかしらと思っているのです。このような表現が失礼でしたらお許しください。

 ただ、あなたの心音をこの歌のように聞くことができないのは残念です。昨年の四月に亡くなられているのですから。

 それでも、この歌集を開けば、あなたに会えるのだと気づきました。歌の一つ一つがあなたの息づかいを伝えてくれます。

 「洗いすぎてちぢんだ青いカーディガン着たままつめたい星になるの」

  この歌は、うっすらと哀しみが漂っています。「青いカーディガン」の青と「つめたい」という言葉が、その思いを更に強めているようです。この青は、空の色より少し深い色ではないでしょうか。「つめたい星」という言葉が、その冴えた色合いを表しているように思えるのです。

 哀しみの漂う歌なのですが、私はこの歌が好きです。あなたの唇からこぼれ落ちたような、独り言に近い歌のような気がするからです。特に、「・・・になるの」という部分が、あなたのつぶやきのようで、好きなのです。

 しばらくしたら、私もあなたのいる場所に行くことになるでしょう。そうしたら、どこかで待ち合わせをしませんか。私は青いカーディガンを着ていきますので。

 その時が来るまでは、この歌集を読みながら、今いる場所で静かに暮らしていこうと思います。

「平成13年度 藤沢町読書推進コンクール」奨励賞受賞作品






   北川想子『天使のジョン』上梓によせて

天上の星のハンガーに吊られたる青いカーディガン見ませんでしたか

杉崎恒夫
短歌同人誌「かばん」2003年4月号より






   「北川草子さんに会いたくて・・・」
柴尾眞由美

シジミチョウ舞う夕まぐれカタバミの花閉じるまで歩みつづける

カタバミの花閉じる音聞こえますあなたの声を求めて歩めば

シジミチョウ夕茜空に溶けるごと春がゆき夏が始まりました

シチュー鍋に天使の涙を注ぐとき神様が決めた君の夭折

グミ・キャンディ甘くとろける口の中いまは亡き君の言葉が香る

『未来』2004年9月号・「ニューアトランティスA」より









「草子さん、夏のそうめん」
東直子   

 子どもがずっと家にいる夏休み。暑くて暑くてくたくたの日は、キッチンで火を使うのがつらい。いつかの夏に、毎日お昼ごはんをつくるのがたいへんで、という話を、所属している「かばん」の歌会のあとでしていたら、夏休みのお昼ごはんはずっとそうめんでした、と北川草子さんが、大きな黒い瞳を見開いて言った。毎日? と誰かがきくと、そうです、夏はそうめん、と、それ以外に何があるの? というようなきょとんとした表情をしたのが印象的だった。

 そういえば、わたしが子どものときも夏休みには、そうめんをよく食べた。母がつくってくれたそうめんには、くし形のトマトと輪切りのゆで卵がのっていた。それをしいたけのだしによる手づくりのつゆにつけて食べた。つゆをつくるときの、しいたけとしょう油の組み合わさった「煮える匂い」をかぐと、なぜだかいつもお腹が痛くなった。

 あるときから錦糸卵と細切りのハムときゅうりののった、冷やし中華風の物にかわり、わたしも今、そんな風にして食べている。

 揖保(いぼ)乃糸、島原そうめん、半田そうめん等、産地によって、麺の太さや味わいに微妙な差があるが、夫の故郷である奈良県桜井市が産地の三輪そうめんの細めでなめらかな舌触りが今のところいちばん気に入っている。これがそうめんの元祖らしい。大神神社の御神体(ごしんたい)の三輪山の名を受けてつくられたその白く端正な麺は、黒い紙帯を締め、底の浅い木箱に誇らしげに並び、夏以外の季節は、箱入り娘として保存食用の棚で眠っている。

 小麦粉に塩とわずかな油をまぜて、細くほそくのばされ、寒空に乾いてゆく麺。手で触れただけでほろりと折れてしまいそうなそれは、なんという繊細な食べ物だろう。

 夏はそうめん、そうめんですよ、とさらさらの黒い長い髪をそよがせていた草子さんは、それから数年後、すてきな歌をたくさん残したまま、病気で亡くなってしまった。ゆだった湯の中にはそうめんをはらはらと落とすたびに、草子さんの声を思い出す。そうよね、夏は、そうめん。するりするりと、思い出がおりてくる。




夕方に会う約束のあるという娘しずかな氷上の麺


『今日のビタミン *短歌添え*』収録(本阿弥書店 \1200)




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